なんと44万人(II型糖尿病患者)のデータを解析した。コントロールは225万人である。検査機関は 7 年である。

これだけで推察するとII型糖尿病にも救われる部分があるのかな・・・? と感じてしまう。

ただ大動脈瘤と言う特殊な疾病に関して言っているだけだ。糖尿病の合併症は、アテローム性の動脈硬化であって、大動脈瘤では無い。一口に血管障害と捉えることは難しい。

専門家も、糖尿病では心筋梗塞や脳卒中を生ずる危険性が高いだけに、特定の患者さんに限られたものだろうとも行っている。

医学会に限らず、鍼灸学会においても、その報告ってなんの価値があるの・・? と困惑する情報は少なくない。どうして、あまり価値が無いと思われる報告がされるのだろうか・・・?。

研究には二つの要因がある。一つはお金である。金のかかる研究とそうでも無い場合がある。そして、研究に対する人的要求度が関わる。まさに、お金と人(見識の高い)である。

研究業績は研究室や個人にとって、重要な評価基準となっている。

研究室にいた頃、毎年研究業績を報告していた。それは研究者の労務評価となる。文科省も研究業績の無い研究者を排除するように指導している。

研究者は、必然的に2種類の研究をすることになる。一つは自分の興味や社会的要求などによって、自分がしたい研究をする。もう一つは、研究業績のために研究をすることになる。

後者の研究は、人的要求度が低く・お金がかからないものを選択するだろう。多人数の者が少しづつ関われば、結果を得られる研究である。前者の研究はコツコツとネチネチと時間とアイディアを練りこんでやらなければならない。論文の数も少なくなる。

この現実は、研究者のスタイルは同じにしながら時間をかけるようになるだろう・・。長きにわたり多くのものが関わった研究を評価する傾向が生まれる。最近の論文を拝見すると、統計データが随分増えたが、後者の研究の改訂版ではなかろうかと思う。

私は、基礎の研究室(神経生理学)にいたが、なぜ・どうしてと因果関係を明確にすることが求められた。基礎研究の特色でもあるが、因果関係の明確で無い研究はどこきで信頼でして良いのだろうか。もの情報を生活にどのように活かせるのかが不明だ。

糖尿病患者さんの動脈瘤発生リスクが低いことを調べた論文は、情報の確かさは担保されているが、なぜかが理解できない。頭の中に蜘蛛の巣が張っているような気がするのは自分だけだろうか・・。

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